主題は「2011/05/15 袴を着た少女の習作」と同じです。 着物より袴の方が、より楚々としたイメージを喚起するので、個人的には好みです。
「春の風」というには若干時期が早いですが、慣習的には、元旦に「謹んで初春のお慶びを申し上げます。」と、こと(言/事)始めをするので、1月は「春」です。 そんな「春の風」、実際に吹きすさぶのは厳寒の風ですが、この絵が皆様に届けるのは、ほのかにあたたかい風であることを願っています。
今回も画像の容量が大きいので、別のページに作品を掲載しています。閲覧を希望される方は、お手数ですが、次のリンクをクリックしてください。
多分、これまでの俄か画家人生で、最もうまく描けた作品だと思います。
創作詩(俄か七言絶句)です。なかなか物事うまくいかないですね。いつか実現するといいのですが。
<詩の意味>
青々しい葉は色鮮やかに紅や黄色を纏(まと)い、
華々しい花は円熟して果実を着ける。
物事は時の流れの中で成就する。
どれほど実現しただろうか。私の懐(ふところ)にある想いは。
* * *
はじめは隷書の意趣のある楷書で仕上げるつもりでした。 やや面倒になって遊び心で行書にかえてみたら、作品が言い知れぬ妖気を放っていたので、行書で仕上げることにしました。 でも、最初に書いた作品以上のものが書けませんでした。そこで、第一作目を採用することにしました。
うまくいかない時には、遊んでみることが重要ということを、遂行的に諒解させてくれた作品です。
「2011/08/14 竹涼」と同じ主題で作品を描きました。 自身の描画技術の練度を測定するには、過去の作品と同じ主題で作品を描き、比較検討すると、わかりやすいです。
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全体的に線画が稠密です。特に、竹へのオブセッション(偏執)を感じ取って頂ければ、幸いです。
創作詩です。こんなにも時間が経過してしまったなぁ、復帰の目処が立たないなぁと、 自身の療養生活を思いつつ、書をしたためました。
<詩の意味>
サクラの花が散り落ちて遠く
ツツジの花は萎んでしまって久しい
どうなることだろうか、アジサイは
ただ、雨が長く続くのを思い耽るばかりだ
自然(じねん)、梅雨は明けるものと、待望するばかりです。
Diaryでたびたび紹介している(Diary「2015/04/04 出汁取りの翁」等)「カツオ節の出汁に関する理論生化学的な研究」について、どうせ書くなら徹底的に書こうと思い、挿絵も創っています。これはその挿絵です。
当サイトの看板娘の理愛に、料理をつくってもらっています。たぶん、出汁をひいているところなのだと思います。やたら楽しげです。
「カツオ節の出汁に関する理論生化学的な研究」、もう少しで書きあがるのですが、今後、どういった形態でこれを公表しようかと考えあぐねています。 もはや同人誌と言わず、書籍として発刊したいという気持ちが、日毎に増す今般です。
・・・「竹の声」ってどんな声でしょうか。
「竹声悟道」は、懐奘著『正法眼蔵随聞記』から拾ってきた言葉(禅語)であり、「桃花明心」との対句表現です。 先日、「桃花明心」を題材に作品を制作したことから、論理的に補完するために制作した次第です。 (含意・経緯等は「2014/09/03 桃花明心」で詳述しています。)
今回の書の課題は「勢い」でした。語義に反し、筆跡から迷いが見えると詮方ありませんので。特に、「悟」の一字は納得の出来です。
画については、いつものように描きたいものを儘に描いたという感じです。言わば煩悩そのものです。 (煩悩即菩薩、菩薩即煩悩。(合掌))
[修正・追記]2014/09/28
デザイン的な面白さ故、色相を反転させました。
また、少女画に改良を加えたので、併せて掲載します。 ・・・というより、最早別の作品として独立した感がありますが。。。
同じものを見ても、人によって得るものは異なります。 桃の花を見て、「桜の花かしらん。」と思う人がいれば、忽(たちま)ちのうちに道を悟る人もいるかもしれません。
「桃花明心」とは、懐奘著『正法眼蔵随聞記』から拾ってきた言葉(禅語)です。 同著は「同じものを見ても、皆が一様に道を悟るわけではない。日々の行を積み重ねていく中、それぞれの縁によって、各々悟りに至る。」としています。 よく禅は自力、念仏は他力と言われますが、実際はそんなに簡単に割り切れるものではありません。禅であっても自力の極に自力ではどうしようもないこと(縁)があるという指摘には、注目したほうがよいでしょう。
懐奘著『正法眼蔵随聞記』第四の五(抄)----------
見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らむ。 花は年々に開くれども人みな得悟するに非ず。竹は時時に響けども聞く者悉く証道するにあらず。 ただ久参修持の功により、弁道勤労の縁を得て、悟道明心するなり。
--------------------------------------------
上の引用部を読んでいただければわかるかと思いますが、「桃花明心」は「竹声悟道」との対句表現です。 「桃花明心」だけだと本当は片手落ちなのです。「竹声悟道」を題材にすることが論理的に要請されているような気がしますが、筆者は「桃花明心」で十全に燃焼しました。 気が向いたら筆をとりたいと思います。
そういえば、そこはかとなく少女が佇んでいます。たぶん、古来「桃の夭夭たる灼灼たり其の華」(『詩経』「桃夭」)と形容されているからです。 縁あって道を悟る人がいたらいいな。(何の道なのかはさておき。)
[追記]2014/09/13
「桃花明心」の制作に際し、書に思い入れがあるのは論勿き事ですが、工夫を重ねて描いた少女の画にも思い入れがあります。
塗りの技法を確立するのは容易ではなく、毎回試行錯誤です。 今回、特にこだわりの強かった部分を、微修正を加え、技法観賞用として掲載します。 気になる方は、拡大して見てください。
(・・・じっと見られても困りますです。)
今回は、『金剛般若経』から24字を引用し、書にしたためました。横長の作品なので、拡大して見てください。
『金剛般若経』は、1、2世紀ごろに成立したと考えられている、仏教経典です。 後代になって大乗仏教経典として位置づけられていますが、当時は大乗仏教なる語が存在していなかったことから、まさに大乗仏教成立の萌芽を伝えるものとして知られています。
『大乗起信論』と比較すると内容が体系的ではありません。到達した境位の感動を、とにかくパラフレーズして著述しているという印象を受けます。(なので、読み物としては若干退屈。) 全体としては、「AがAならば、故にAではない。Aでなければ、故にAである。」等として、我々が措く区分の解体を教唆しています。 本引用部は現代人が読んでもわかりやすいと思われたので、書にしたためた次第です。現代語訳は以下のとおりです。
Tyu-gen(意)訳----------------------
師よ。もし、尊敬されるべき者が、「わたしは尊敬されるべき者となったのだ!」という思いをなせば、 その者はその思いによって、実体としての自我、生命としての存在、生物としての個体、集団の中の個人であることに執着していることになるのです。
-----------------------------------
『金剛般若経』からは感性的なニュアンスを感じ取ったので、語の意味を切り、意味を筆に込めながら、想いを主にして書きました。 とは言え、想いのとおりにはなかなかいかないもの。納得いかず何十枚も書き直しました。二度と、同じものは書けないでせう。
今回は『大乗起信論』 第一章 顕示正義より24字を引用し、かくのごとく書にしたためました。
『大乗起信論』は5、6世紀ごろに成立したと考えられている、仏教論書です。 一般にはあまり知られていないかと思いますが、本書は、大乗仏教の理論と実践を、体系的かつ端的に伝えるものであり、日本での大乗仏教の展開と普及に多大なる影響を与えたとされています。
そのような背景のある『大乗起信論』なわけですが、私はそのなかでも本引用部が最も重要な点だと思っています。引用部の現代語訳は以下のとおりです。
Tyu-gen(意)訳----------------------
私たちが見たり聞いたりするなどして知覚しているあらゆるものは、ただ、わたしたちのもののとらえ方によってのみ、区別がある。 もし私たちが、ものをとらえるということをしなければ、本質的にはあらゆるものに、境界はないのである。
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この認識が、大乗仏教の平等思想とその運動の前衛性の中核をなしていると思われます。 たとえば、在家信者と出家信者というのは、所詮わたしたちのものの捉え方によって設けられた区別なのであって、本質的にはそのような区別はありません。 なので、出家信者が悟りに至れるのであれば、在家信者も悟りに至れるのは当然ということになります。
しかるに、悟りに至るためには実践をつむことが大切ですが、在家信者であってもつめる実践とは一体何か、ということが、大乗仏教の主要な関心事となります。 それは、誰であってもできそうなことを探すということでもあるわけでして、たとえば鎌倉時代の遁世(俗世間から遁世し、官僧の世界からも遁世した)僧達は、ひたすらつぶやいてみたり、座ってみたり、踊ってみたりすることを人々に推奨したのでありました。 (・・・ひたすらに眠るという実践はなかったのかしらん。私も遁世僧になって、ただ一向に涅槃すべしと唱導しようかしらん。)
ちなみに、私の書は、唐の官人であり書家である褚遂良(ちょすいりょう)の雁塔聖教序から大きな影響を受けています。「法」の文字がなんか変なのはそのためです。
描くのに随分時間がかかりました。色々と納得がいかなかったものでして。 ポージングが違うとか、表情が違うとか、線質が違うとか、色が違うとか、差分ファイルを無数に積み重ねていって、最終的に今の形になりました。
茶系と緑系の色遣いをしつつ、地味になり過ぎないように仕上げてみたつもりです。
かつて、キリスト教が世界宗教として勢力を拡大していく中、 「異教徒」の習俗体系は、キリスト教の体系から基礎づけられ、「異教」はキリスト教に包摂されていきました。
「バレンタインデー」もその一つ。古代ローマでは、2/14は女神ユノの祭日でした。
おお!豊穣のあらんことを!
下のログを確認いただければわかるかと思うのですが、冬や夏になると、無性に絵を描きたくなる衝動に駆られているやうに思います。 他にもやらないといけないことがあるはずなのですが、二週連続徹夜で絵を描いているあたり、業の深さを感じずにはおれません。
作者が病的なまでの衝動で描いているにもかかわらず、出来上がりは、明るい絵でした。
おお!人間にひかりあれ。変人にやみあれ!
ウェブサイトのアドレスを移転した旨紹介するために、 何か華のあるものが必要だらうということで、描きました。 現在、旧アドレスのページで看板娘として活躍中です。
ふんわり仕上がりました。ようやく、色塗りの技術が確立しつつあるこのごろです。
いつぞや、富山県の室堂に行きました。 室堂は、標高3000 m超の峰々を臨むことができ、立山黒部アルペンルートでも最も標高が高い場所と言われています。
森林限界をゆうに超えているので、湿原や低木ばかりが広がっており、視界を遮るものがありません。 視界を上げると、峨々たる峰々の稜線、砂利が川のごとく峰々から流出している剥き出しの峰肌、そしてどこまでの続く山道が見えるばかり。
噫、なんと荒涼としているのだろう。噫、なんて荒(さび)しいところなのだろう。
夏休みがとれました。絵的にはThe springぢゃないかしらんという気がしますが、夏休みです。 何故か靴を履いていませんが、たぶん夏休みだからです。(意味不明。)
それにしても暑いDeath。
当世風の意匠です。萌画が女性ファッションに与える影響は、少なからずあるのではないかと思うこのごろです。
アルファベットが背景模様として用いられることは比較的よく見られることですが、 漢字で同様のものを見かけることが少ないように思ったため、試みに描いてみました。 般若心経の一節を用いたことから、経文萌画と命名した次第です。
日本では、お経は教えというよりご利益ベースで受容されているように思います。 その意味では、経文萌画という形態はご利益満載ですね☆
時間がないのは不足ですが、時間のないのは充実です。
・・・ただ、佇んでみませんか?
暑中お見舞申し上げます。
暑いので、涼しい絵を描いてみました。
そういったわけで、涼んでください(意味不明)。
さて、お気づきと思いますが、今回は、描画から彩色までの全プロセスを、デジタル上で行いました。 ペイントツールが豊富にあるため、初めはどう扱ったものかと思いましたが、 慣れると非常に可能性を感じます。(そもそも紙では上の絵は描けません・・・。)
[参考] Tyu-genの作業環境
デジ絵三種神器は、「スキャナー、ペンタブ、イラストソフト」と考えることができます。 2011/01/26ではこれらを有しておらず、三無主義を標榜していましたが、今般、これらを全て揃えるに至りました。
そこで、参考情報として、Tyu-genの作業環境を紹介します。 詳細については下記をご覧ください。(なお、今後は暫くこの作業環境で作品を描いていくものと思料)
Canon MX880はカラープリンター複合機。プリンター、FAX機能の他、スキャナー機能も有する。
MX880を購入した理由は、主として文書印刷及びコピーの性能の高さ故。
印刷速度は、レーザープリンタには劣るものの、インクジェットプリントでは最高クラス。
さらに、家庭用複合機で自動送り装置(ADF)を搭載しており、両面コピーが可能という優れた点を有する。
なお、購入時スキャナーの精度は考慮していないが、問題なく使えるレベルである。
wacom Intuos4 PTK-640は間接描きタイプのペンタブレット。
Intuos4 PTK-640を購入した理由は、直接描きタイプのペンタブレットよりオプションが充実している故。
かつて、直接描きタイプのペンタブレットを購入しようと思ったが、今般、ipad等のタブレット端末が普及していることから、
今後、タブレット端末に対応する形で商品開発が進むと考えられ、高額の直接描きタイプのペンタブレットを購入する必然性を感じられなくなった。
他方、Intuos4は、替え芯やペン等、直接描きタイプのペンタブレットには無い繊細なオプションを搭載し、
筆圧レベルが2048というその描画性能の高さ故、相対的に魅力的に感じられた。
ILLUST STUDIOはイラストレーター向けアプリケーションソフトである。 購入した理由は、Intuos4 PTK-640の筆圧レベル2048に対応する手頃なソフトである故。 豊富な描画ツール、レイヤー作成、透過度調節等、イラストするには十分過ぎる機能を搭載。 使いこなすには勉強が必要と思料。
デジ絵第二弾。なんとなく袴です。
ブラシで髪の毛を表現することの難しさを感じた作品です。
次はどう改善しようかなぁと思います。
[修正]2011/06/28
スキャナで画像を取り込み、ペイントブラシで着色。
作業環境の近代化を徐々に図っているところ。
・・・やっぱりスキャナは偉大でした。
現実はわたしたちに存在する意味を与えてくれます。でも、
現実を掘り下げると、現実が現実ではなくなることがあります。
その時、現実はすでにまやかしになっているのだけど・・・
どうして、なお、まやかしに生きたがってしまうのでしょうか?
それを受け止め、伝えることを皆にとっての良しとする。
そのような風土をつくることが、大切なんだと思います。
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さて、
毎年この時期になると何やら描いているような気がします。
今回は色付けをパソコン上で行いました。絵描き屋の環境としてはペンタブ無い、スキャナも無い、イラストソフトはもちろん無い、の三無主義でlow specなのですが、裏を返すと、比較的門戸の広い着色技法を開発したのではないかと思います。以下でそのプロセスを紹介します。
1. まず携帯のカメラ機能で画像を取り込みます [Fig.1.A]。
2. このままだと画像が暗いので、画像の明度を補正します。" Microsoft Office "を持っている方なら、" Picture Manager "で補正できます [Fig.1.B]。 ただ、どの程度補正するのかはセンスが問われるところのように思われます。
3. アクセサリ内のペイントツールを用い着色します。着色にはスプレーを使います。元画像自体が粗いため、粗い着色の方が元の線にうまく溶け込んでいきます [Fig.1.C]。 このスプレー技法は、自然に色を重ね散らすことができるため技術的には手軽でありながらも、なかなか奥が深いように思われます。
4. 色補正を" Picture Manager "で行います [Fig.1.D]。
これにて出来上がりです。
先を、見て欲しいと思います。
わたしがわたしであるが故に、
わたしには見ることのできない、先を。
一点透視画法を試すには、直線性のある対象がわかりやすかったので、廃線を描いてみることにしました。 廃線にはなにやら言い知れぬ魅力があります。廃線に限らず廃墟が帯びる魅力について、わたしは3年くらい前に次のようなことを書いていたようです。
<廃墟には人の営為の日常がない。日常物は道具的に指示対象を有するが、廃墟にはそれがない。 廃墟は単に在る。日常的な時間構造を切断する、無規定的で超時間的な対象物としてただ単に在る。 そこでは、在るという聖性が剥き出しになっている。実在は空虚に宿るのである。>
なかなか面白いことを書いていたんだなぁと思いました。