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2015/07/12
「日-韓(Korea-Japan)」の歴史認識を建設的に構築するための提案
―世界遺産登録での物議を受けて―

はじめに

本記事は、日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の世界遺産登録に係る韓国との物議を眺めていて筆者が感じたことと、 「日-韓(Korea-Japan)」の歴史認識を建設的に構築するための提案の、2つの部分から成立します。タイトル的に言えば、副題について先に記述し、主題を後で記述するという構図になっています。

また、若干詰め合わせ感がありますが、ユネスコ世界遺産委員会での「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の、 主に物議を醸しているところの発言の、英文(筆者聞取)及び和訳(筆者仮訳)も、付録します。あわせて、当該発言に対して、ちょっとした分析やコメントをします。

以下、本記事の目次です。

1. 世界遺産登録に係る物議を受けて筆者が感じたこと

2. 「日-韓(Korea-Japan)」の歴史認識を建設的に構築するための提案

2.1. 歴史認識を建設的に構築するためには、まず「真理の歴史と虚偽の歴史」があるという考え方を棄却することが前提として重要

2.2. 筆者が政治家や外務省の役人だったら歴史認識を建設的に構築するための仕組みをどう考えるか

付録 ユネスコ世界遺産委員会での「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の主な発言

付1. ユネスコ世界遺産委員会の会議の様子は、YouTubeで公開されています

付2. いわゆる「強制労働」のニュアンスに係る「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の主な発言

付3. 徴用政策の一環であることを主張したい日本とそれに触れたくない韓国


1. 世界遺産登録に係る物議を受けて筆者が感じたこと

2015年7月5日、第39回ユネスコ世界遺産委員会(ドイツ、ボンでの開催)は、 日本の推薦した「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」を、ユネスコ世界遺産一覧表に記載することを決定しました。

日本は西洋圏以外で史上初となる産業革命を経験した国であると歴史学上考えられています。 その当時の日本のありさまを現在に伝える史跡群に、世界史的な意義があると認定されたことに対しては、素朴に「よかったね」と祝福です。

他方、今回の世界遺産登録に係る最大の難関は、ユネスコ世界遺産委員会の委員の観点から見れば、非本質的なところにあったことは、 この世界遺産登録の動向を気にしていた方にとっては、周知のことかと思います。韓国政府による特定の施設の登録反対運動(キャンペーン?)です。

正直、「日-韓(Korea-Japan)」の関係は相当に複雑で、見える地雷やら見えない地雷やらで埋め尽くされているような印象があるので、 物書きとしてはとても恐ろしい主題です。なので、これまであまり取り扱いたくない主題でした。

しかし、さすがに今回、どうも近現代史が少しでも絡むと、「日-韓(Korea-Japan)」の使う「語彙」があまりに乖離してしまうことに、苛立たしさを感じた次第です。 経済や文化、科学などの多くの活動の交流のただなかでは、お隣の国の人として、割とニュートラルにやりとりをしているように思われます。 しかし、近現代史の話を始めると、途端、まさに異質な存在者として出現してしまいます。 日本人の側から見れば韓国人は変な言葉を使う人たち、そして韓国人の側から見れば日本人は変な言葉を使う人たちなのでしょう。

「政治的」に言うと、1965年、韓国との国交正常化の際に締結された日韓請求権・経済協力協定により、 日本が韓国に経済支援することのトレードオフとして、韓国は日本に対する財産・賠償に係る請求権を放棄しているという整理のハズなのですが、 韓国政府は、歴史認識の齟齬をもとに、しばしば、日本政府の過去の戦時下における責を問う或いは示唆する行為を繰り返しています。

政治的観点からは、協定のことを考慮すれば普通は用いないと思われる不思議な言葉を使う政府だなぁというように、私は眺めています。 このような協定を結んでいる以上、韓国政府は、内国の特定のステークホルダーにとって不都合な内容だとしても、協定について説明し、理解を求める責務があります。 しかし、しばしば、日本政府の過去の戦時下における責を問う或いは示唆する行為を繰り返していることから、このことは少なくとも、 韓国政府は今なお、政治的に内国の問題を処理しきれていないことを意味しているのだと、私は解釈します。

民意あっての政治です。あまり推奨できないですが、内国の問題を処理しきれない場合に、「もっと悪い奴は外の奴らだ!」と名指しすることは、 特に政治的基盤が不安定な場合、統治を維持するために一時的に執られうる手段であるとは理解しています。 しかし、今回の世界遺産登録に係る反対運動は、上述のような文脈から解釈しようとしても、どう公平に見ようと思っても、韓国政府は明らかにやり過ぎているように、筆者には感じられます。

その場がどのような場で、何が話し合われているのかということを突きぬけて、自分の話を中心に主題化する人のことを考えてみましょう。

たとえば、自動車事故を減らすための取組を進めることを目的に、どの自動車メーカーの取り組みが優れているのかということについて話し合い、優良事例を選出して紹介することをミッションとする会議があったとしましょう。 話し合いをしているうちに、あるメーカーAの最近5年間の取組が特に優れていて、優良事例として選出するにふさわしいと、会議としてほぼ結論が落ち着きそうなところで、「いや、待て。」と。会議のメンバーの一人であるBが次のようなことを主張し始めたとしましょう。

「我々はそのメーカーAが20年前に販売した自動車の設計に不良があると考えており、私自身19年前に自動車事故にあった。メーカーAの当該自動車を運転して自動車事故にあった犠牲者は私以外にもいる。 メーカーAには、このような事故を引き起こしてきた歴史があるのだから、今回、メーカーAの取り組みを優良事例として選出することに我々としては強い懸念があり、反対である。 むしろメーカーAは優良事例として紹介されるのではなく、我々のような犠牲者に対して謝罪しなければならない立場のはずだ。」

読者のみなさんが、このたとえ話を通して、「主張するにしてもどこか別のところでやれよ!B!」と感じたなら、筆者と気持ちを同じくしています。

もし私が議長ならこの時点で、「Thank you, B. Any other opinions?(ありがとう、B。他の意見は?)」として、話を軌道に戻そうとするでしょう。 誰もメーカーAの20年前の話をしていないし、そもそも、ここは自動車事故を減らすための取組を進めることを目的にメーカーの優良事例を話し合う場なのであって、 自動車事故に係る謝罪等の政治的な事案の話をする場ではないからです。会議のメンバーBの発言は、この会議の文脈では、明らかに不可思議な発言なのです。

さて、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」は、その対象となる期間を1850年代から1910年と設定した上推薦されていました。 しかし、韓国政府の主張によると、特定の施設で韓国がいわゆる「強制労働」と表現するところの労働に韓国人が従事したので反対とのこと。時期は1940年代の第二次世界大戦中です。。。 そして、韓国政府は、日本政府に「強制労働」の事実を認めるよう主張します。ユネスコ世界遺産委員会は世界的な意義を有する文明や文化的史跡、自然を遺産として登録し、その保全について話し合う場なのに。。。

韓国政府の主張は、その内容が理に適っているか以前に、明白な場違いです。「ユネスコ世界遺産委員会」という文脈では明らかに不可思議な主張であり、 そのような主張をもとに揉めている「日-韓(Korea-Japan)」を見た委員の方々は、「Thank you, Korea and Japan.」と生温かく一蹴していたことでしょう。なんとも傍ら痛いものです。

私の見立てとしては、道理を主張するには道理に適ったやりかたで主張しないと、短期的には成果を得られても、長期的には信頼を失ってしまうので、そのようなやりかたは推奨できないというものです。 少なくとも、今回の件を通して、私は韓国政府のことを「自分の主張を通すためにはその場のルールや道理を無視することを厭わないという不可思議な動きをする政府」として眺めるようになり、 現状の「日-韓(Korea-Japan)」関係を前提とするなら、もはや関わらない方が、双方にとって長期的に利益になるのではないかという、厳しい目で眺めるようになりました。

まあ、所詮、私一人の信頼感を失うくらい、国家的な視点から見れば微視的なものなんですけどね。巨視的に見れば大した問題ではないのですけどね。

2. 「日-韓(Korea-Japan)」の歴史認識を建設的に構築するための提案

2.1. 歴史認識を建設的に構築するためには、まず「真理の歴史と虚偽の歴史」があるという考え方を棄却することが前提として重要

とは言え、上述のような嘆息や批判だけなら誰にだってできることですし、失望するなら勝手に失望しておけという話もあろうかと思うので、 筆者としては、現状の「日-韓(Korea-Japan)」関係が前提とならないよう、もうちょっと状況が改善されるような仕組みを考えることはできないかと思う次第です。 それが、本記事の主題である、「「日-韓(Korea-Japan)」の歴史認識を建設的に構築するための提案」の部分です。

「日-韓(Korea-Japan)」の間で、しばしば政治問題化されるのは「歴史認識」を巡る齟齬の部分です。 たとえば、何かあるたびに(或いは何かにかこつけて)、韓国政府は日本政府に向けて、おおむね次のような声明を発信するのが、いつもの出来事となっています。

「日本は、過去の歴史、特に近代の東アジアへの軍事的介入政策がなければ、生じなかったであろう様々な直接的・間接的損害を直視しすべきだ。 今般、日本で、このような損害を認めようとしない、いわゆる「歴史修正主義」的な姿勢が見られることに、強い懸念の意を表明する。 日本の責任ある行動とは、過去の歴史に対して、誠意をもって韓国の国民に謝罪することだ。」

私の見立てでは、このような内容の発言の、おそらく自覚されることなく選び取られている認識論的な前提は、次のようなものです。

「歴史には真理の歴史と虚偽の歴史がある。真理の歴史を体現しているのは韓国である。 強いてそれがなぜなのかを答えるとしたら、日本は二次世界大戦で敗北したからである。敗北者は真理を体現するはずがない。 それゆえ、韓国で常用されている歴史とは異なる歴史認識を日本が示すことは、真理の歴史を虚偽の歴史によって塗り替えようとする冒涜的行為に他ならない。 日本は真理の歴史を直視し、その威光の下に、敬虔なふるまいをするべきである。」

私は、「歴史には真理の歴史と虚偽の歴史がある。」という考え方には、次のような論難があると見ています。

1. 何が真理の歴史と虚偽の歴史を分かつのかは、自明ではないこと。(例えば、「真理は勝者に宿る」という基準は、中世ヨーロッパの騎士であれば共有できる考え方かもしれないけれど、それが普遍かつ不変に妥当するものだとは思われない。)
2. 歴史には、それを記述する主体の視点(パースペクティブ)が不可避的に必要であること。
3. それ故、「歴史とは「ある視点から認識した出来事を整合的に配置したもの」であり、歴史とはそもそも「認識」に係る用語であると考えられること。(ある意味、「歴史認識」という言葉は「認識認識」という同義反復をしていることになる。)
4. 「認識」は多様であり得ることから、唯一絶対の「歴史認識」はあり得ないこと。

また、私は、「歴史には真理の歴史と虚偽の歴史がある。」という考え方は、 「日-韓(Korea-Japan)」の間で、歴史認識に関する対話をし、相互の認識をすりあわせ、両者の理解をよりよく深める上では、 あまり有益ではなく、推奨できない考え方であると見ています。

私の見るところ、対話とは、ある主張の全面的な採用又は棄却をするためのプロセスではなく、利害関係者間の主張の反省的均衡点を見出すための、創造的なプロセスのことを言います。

もし「歴史には真理の歴史と虚偽の歴史がある。」という考え方が、自覚していないにしても前提として機能しているとすれば、 韓国政府が日本政府に求めているのは、日本の歴史認識を、韓国の歴史認識に一致させるべきということです。 これでは対話になりません。互いが互いの主張をすれちがわせるという、あまり生産的とは言えない言説のやりとりができるまでです。 (ちなみに、政治的には歴史認識を問題にする割に、そのすり合わせを積極的にやろうという動きがあまり両国間で見られないのは、このことを傍証するものだと考えます。)

以上の見立てによると、「日-韓(Korea-Japan)」間で歴史認識について建設的に対話をするためには、 まず歴史認識に対する態度そのものを、両国で共有する必要があると言えます。哲学的に言えば、問題の所在は「歴史認識」ではなく、まず「歴史認識論」にあるということです。

私の提案は、歴史認識に対する態度そのものとして、「歴史には真理の歴史と虚偽の歴史がある。」という考え方を棄却した方がよいというものです。 そして、「韓国政府が日本政府に求めているのは、日本の歴史認識を、韓国の歴史認識に一致させるべき」ということの意趣を、 「韓国政府は日本政府と、近現代史の語り方を一致させたい。」というように解釈するよう推奨したいです。

この提案が能く理解されれば、「日-韓(Korea-Japan)」間で歴史認識を建設的に構築するための前提となる対話的態度が涵養されるものと、 私は期待しています。

2.2. 筆者が政治家や外務省の役人だったら歴史認識を建設的に構築するための仕組みをどう考えるか

以上は、政府と政府のやりとりを想定した話ではありましたが、市井に生きる私たち一人一人が、 「歴史には真理の歴史と虚偽の歴史がある。」という考え方を棄て、「日本と韓国で近現代史の語り方を一致させたい。」という希望を持つことは、 「日-韓(Korea-Japan)」間で歴史認識の齟齬にかかる、私たち一人一人の態度決定の現場でも、有効かつ有益であると私は考えます。 まず、私たち一人一人にできることは、これぐらいかなと思います。

とは言え、これが政治問題として取り扱われている以上、 「日-韓(Korea-Japan)」政府のレベルで、歴史認識を建設的に構築するためにはどうしたらよいのかについて、より具体的な提案をしなければ、 政治の問題を態度の問題に矮小化する粗雑な主張であると受け取られかねません。そこで、もし筆者が政治家や外務省の役人だったら、 「日-韓(Korea-Japan)」間で歴史認識を建設的に構築するために、どのような仕組みを考えるかということを開陳することで、 具体的な提案をしてみたいと思います。(無論、私は政治家でもなければ外務省の役人でもありませんが。)

この課題を考える上で参考になるのは、過去に「日韓共同歴史研究」[1]という事業が存在していたということです。

「日韓共同歴史研究」という事業は、日韓両首脳の合意により2002年に発足した「日韓共同歴史研究委員会」が実施した事業です。 その発足の目的は「日本の歴史教科書問題を背景として、正確な歴史事実の確定及び認識を通じた相互理解の促進のため」とされています。 なお、「日本の歴史教科書問題」というのは当時、いわゆる「自虐史観」からの脱却を目指す「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した歴史教科書の記述が、 社会(というよりマスメディア?)に大きく取り上げられて、主に日本国内の各自治体の教科書採択における問題だったのが、「日-韓(Korea-Japan)」間の歴史認識の問題にまで発展したという経緯のものです。 記憶に新しいことではないですが、「そんなことあったね」と記憶に留められている方もいらっしゃるのではないかと思います。

「日韓共同歴史研究」は第1期(2002 - 2005年)と第2期(2007 - 2010年)にわたって実施され、 それぞれで報告書[2,3]を取りまとめています。なお、第2期以降、この事業は継続されていません。

私見では、この事業の報告書は、「日-韓(Korea-Japan)」両国にとって非常に貴重な財産です。 その理由は主に2つあります。

1. 「日韓共同歴史研究委員会」は両国首脳の合意によって発足したので、当該委員会の報告書は非常に高いレベルでオーソライズされているから
2. 日韓の研究者が相互に査読しているので、見解の中立性が指向されてあると言えるから

それゆえ、「日-韓(Korea-Japan)」の歴史認識に齟齬があると感じた時に、 歴史学的な資料としてまず参照するべきなのは、「日韓共同歴史研究」の報告書であると私は考えます。 この報告書は、「日-韓(Korea-Japan)」がともに参照できる、オーソライズされた歴史学的文書です。

私たちにとって極めて残念なのは、第2期以降、「日韓共同歴史研究」は継続されていないという事実です。 「日-韓(Korea-Japan)」がともに参照できるオーソライズされた歴史学的文書を継続的に積み重ねることは、 冷静で建設的な政治的対話を進めるための基礎資料を積み重ねることに他なりません。 また、そのような歴史学的文書を継続的に積み重ねるという行為そのものが、 「日-韓(Korea-Japan)」が共同で歴史の語り方を一致させるという希望を持ちながら、課題に取り組んでいることを表わしていると言えます。

これらの見立てから、「「日-韓(Korea-Japan)」がともに参照できるオーソライズされた歴史学的文書を継続的に積み重ねること」を、 私の提案の中核に措きたいと考えます。これを、実現するために、私が提案したい仕組みを素描すると、次のようなものになります。

1. 政府間組織として、「日-韓(Korea-Japan)共同歴史研究・評価機関」(仮称)を設立する。
2. 「日-韓(Korea-Japan)共同歴史研究・評価機関」は、両国の歴史学者等の専門家によって構成され、政治的独立性のある立場から両国の歴史を共同で研究し、その成果を積み上げ、広く一般に情報を公開する。
3. 「日-韓(Korea-Japan)共同歴史研究・評価機関」は、両国の歴史に係る政府の諮問に対して答申する他、必要に応じて、両国政府に対する勧告、意見表明を行う権能を有する。
4. 「日-韓(Korea-Japan)共同歴史研究・評価機関」は、その研究成果や見解の中立性、透明性を向上するため、体系立てられた方法論的に基づき研究を実施する。

「歴史認識で困ったときには、「日-韓(Korea-Japan)共同歴史研究・評価機関」の見解を見てみよう。」というような社会が到来すれば、 「日-韓(Korea-Japan)」の近現代史の語り方は、きっと漸近していくでしょう。そのとき、「日-韓(Korea-Japan)」の関係は、より包括的で緊密な関係になるでしょう。

今の「日-韓(Korea-Japan)」の関係には正直うんざりしたので、今後のわたしの戦略としては、ただこのような「日-韓(Korea-Japan)」の歴史の語り方を一致させていけるような希望を語り続けることに注力するのみです。 絵に描いた餅かもしれませんが、美味しそうな描かれた餅は、あってもいいのではないかと私は思います。

付録 ユネスコ世界遺産委員会での「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の主な発言

付1. ユネスコ世界遺産委員会の会議の様子は、YouTubeで公開されています

ユネスコ世界遺産委員会の会議の様子は、YouTubeで公開されています[4]。その活動の透明性の高さに脱帽するばかりです。

私の考えるメディアリテラシーというのは、一般的に考えられているような「氾濫する情報の中から、正しい情報を読み解く」ことではなく、 「ある情報が気になったら、いつ、だれが、どのような場で発信した情報なのか、その根拠を調べる」ことです。

私見では、「氾濫する情報の中から、正しい情報を読み解く」というのは、結局なにをしたらよいのかわからない、中身のない指針です。 何が正しい情報なのかあらかじめわかっていないと、氾濫する情報の中から、正しい情報を読み解けるはずがないからです。 そして、あらかじめ正しい情報がわかっていたなら、氾濫する情報の中から読み解く必要もないからです。 私の理解では、この空虚な指針は、人々を、氾濫する情報を眺めて、自分が正しいと思っていることはやっぱり正しいんだということを確認しようとする、自己確認行為に導くだけだと思っています。

私の考えるメディアリテラシー、つまり、「ある情報が気になったら、いつ、だれが、どのような場で発信した情報なのか、その根拠を調べる」ことは、 氾濫している情報というのは、せいぜい、子引き、孫引きされた情報にすぎないという認識に立っています。 何が原典なのか、何が一次資料なのか、何がオーソライズされた資料なのかを調べれば、そもそも情報は氾濫していないというのが、私の見立てです。

ユネスコ世界遺産委員会での「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の発言については、いわゆる「強制労働」のニュアンスをめぐって、 様々な記事が立っているかと思いますが、会議の様子がYouTubeで公開されているので、まずはそれを見てから何かを考えた方がよいというのが、 私のメディアリテラシー上のスタンスです。

付2. いわゆる「強制労働」のニュアンスに係る「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の主な発言

以下、いわゆる「強制労働」のニュアンスに係る「日-韓(Korea-Japan)」の両代表者の主な発言(筆者聞取)と和訳(筆者仮訳)を掲載します。(《》内は筆者註)

参照動画:World Heritage - 39th World Heritage Committee 2015-07-05 15:00-18:50

■ 日本代表者の発言

動画タイムライン: 30:50-32:03

The government of Japan respects the ICOMOS recommendation that was made from technical and expert perspectives.

(日本政府は、技術的かつ専門的な観点からなされたICOMOS《国際記念物遺跡会議》の勧告を重んじます。)

Especially in developing the interpretative strategies, Japan will sincerely respond to the recommendations that the strategies allows an understanding of full history of each site.

(特に、説明戦略を展開するにあたり、当該説明戦略が、それぞれの《遺産登録》地域における全ての歴史の理解を可能にするものであるように、というICOMOSの勧告に対して、 日本は誠意をもって応えます。)

More specifically, Japan is prepare to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that during World War II the government of Japan also implemented its policy of requisition.

(とりわけ、日本は、1940年代に特定の地域で、意に反して連れてこられ、厳しい状況下で強いて働かされた、非常に多くの韓国人やその他の人々がいたということ、 あわせて、第二次世界大戦の期間、日本政府は徴用政策を実行していたということについて、理解を可能にする措置を講じる用意があります。)

Japan is prepare to incorporate appropriate measures into the interpretive strategy to remember the victims such as the establishment of information center.

(日本は、情報センターを設立する等の適切な措置を、その《徴用政策の》犠牲者を記憶にとどめるための説明戦略に組み入れる用意があります。)

■ 韓国代表者の発言

動画タイムライン: 33:03-33:35

The government of the Republic of Korea takes with utmost seriousness the statement just made by the government of Japan before this committee in which it stated that and I quote; there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that it is prepare to incorporate appropriate measures into the interpretive strategy to remember the victims such as the establishment of information center; unquote.

(大韓民国政府は、この委員会が始まる前、ちょうど先ほど日本政府によって為された声明は、この上なく深刻なことだととらえている。 その声明とは、引用すると、 「1940年代に特定の地域で、意に反して連れてこられ、厳しい状況下で強いて働かされた、非常に多くの韓国人やその他の人々がいたということ、そして、 情報センターを設立する等の適切な措置を、その犠牲者を記憶にとどめるための説明戦略に組み入れる用意がある」というものである。)

付3. 徴用政策の一環であることを主張したい日本とそれに触れたくない韓国

日本代表者と韓国代表者の発言を比較すると、韓国代表者は「日本代表者が言ったこと」として引用したとしているわりに、実は完全な形では引用していないことがわかります。 「第二次世界大戦の期間、日本政府は徴用政策を実行していた」というところを、韓国代表者は引用していません。

私の感覚では、日本代表者が、韓国人やその他の人々の戦時動員、徴用政策について発言している部分、英文としてちょっと違和感があります。 それは、韓国代表者が「第二次世界大戦の期間、日本政府は徴用政策を実行していた」というところを、引用していないということとあわせて考えると、 徴用政策の一環であることを主張したい日本と、それに触れたくない韓国という構図が浮かび上がってきます。

私の理解では、日本代表者が本当に言いたかった声明は、できるかぎり中立性のあるものにしたかったと考えられることから、 次のようなものとして再構成できるのではないかと思われます。

During World War II, being implemented a policy of requisition by Japanese government, there were a large number of Koreans, Japanese and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites.

(第二次世界大戦の期間、日本政府によって徴用政策が実行されていたので、1940年代に特定の地域で、意に反して連れてこられ、厳しい状況下で強いて働かされた、非常に多くの韓国人や日本人、その他の人々がいました。)

巷間、「forced to work」は「強制労働」と解されるか否かが話題の焦点となっているように思われますが、 多分、上のような書き方であれば「forced to work」という表現そのものが、あまり物議を醸すことはなかったかと思われます。 「あ、なんだ。戦時徴用政策の一環で、韓国人や日本人など、当時の統治圏域にいた人々を、すべからく動員したんだね。」ということが明白にわかるからです。

韓国の代表者が、日本が言ったことを引用することで、自身の発言をオーソライズしたいと考えていたのであれば、上の文章だと、色々と不都合です。 そのまま引用すると、「戦時徴用された韓国人、日本人、その他の人々が特定の施設にいたということを、韓国政府としては深刻にとらえている」という、なんだか誰に向けているのかよくわからない発言になってしまうからです。 (韓国は「戦時徴用反対!」という、平和主義を提唱する国なんだね、と逆に国際的な尊敬を集めるかもしれないですが。。。)

韓国人だけが際立つようにしたいという意図を達成するためには、 戦時徴用という語を落とし、韓国人がとりわけ「forced to work」されたことがわかるような文章にしたいはずです。 そのせめぎ合いで生まれたのが、日本の代表者の発言した声明だったのだろうと、推察します。 妥協の産物であるにおいが、プンプン漂っている文章('a large number of Koreans and others'という中途半端な表現ぶりからは、特に妥協のにおいがプンプン漂っています)なので、 本当にギリギリの調整だったんだなぁということを、うかがい知ることができます。


本記事作成の際に参考にしたもの

[1] 日韓共同歴史研究[外務省ウェブサイト]

[2] 日韓歴史共同研究報告書(第1期)[公益財団法人 日韓文化交流基金ウェブサイト]

[3] 日韓歴史共同研究報告書(第2期)[公益財団法人 日韓文化交流基金ウェブサイト]

[4] World Heritage - 39th World Heritage Committee 2015-07-05 15:00-18:50[YouTubeウェブサイト]


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