Review(本文)


2014/11/08 eden*

導入

「eden*」は2009年にゲームブランドminoriが発売したノベルゲームです。 「死にゆく楽園(ほし)へ、最後のラブストーリー」との銘のとおり、惑星の終焉に臨む(風変りな)男女の感情の機微を丁寧に描いた、純愛ものの作品です。(付言すると全年齢対象です。)

本作は、ともすると粗製濫造との誹りを受けかねない美少女ゲームのジャンルにおいて、稀有と言うべき高品位、高品質を実現しています。 グラフィックについては論を俟たないにしても、シナリオが論理的に構築的であり、終末もののストーリーにありがちな思考停止的な悲劇、読者救済的な喜劇にも回収されない点で、好感が持てます。 制作陣の実証的な姿勢が窺えます。

なお、minoriは「ef」を制作したブランドです。「ef」は当時アニメーションにもなったので、「深夜がメインの活動時間♪」という方であれば、馴染みの方もいることでしょう。 また、本作の監督の御影氏は、「ef」や「水夏」のシナリオを手掛けていたようでして、筆者がこれは衒学的だとして好感を抱いている作品には、まさに御影氏の影があるようです。 (衒学的という語をポジティブに使う用例はあまりないかもしれませんが、筆者にとってはポジティブ。)

「eden*」は「ef」ほどに著名な作品ではありませんが、埋もれている名作と思料します。 もはや店頭で見つける事すら困難かもしれませんが、一読の価値はあります。(というより、二読ぐらいしたほうが味わい深い。)

内容(※大いにネタバレを含みます。括目して見よ。)

1. 火星付近に突如出現したエネルギー体「破滅の星」の影響により、地球は残り100年で滅亡と推定。 人類滅亡を回避するための地球脱出計画が提唱される。

2. 地球脱出計画を遂行するため、世界統一政府の設立とフェリクス計画が実行。 統一政府は、脱出計画にかかる政治的、軍事的な事案を所掌し、治安維持等を実施。 フェリクス計画は、遺伝子に改良を施し高い知能と不老長寿の肉体を有する新人類フェリクスを生み出し、地球脱出計画に必要な技術開発を実施。

3. 99年後、地球脱出計画の中心メンバーとして活躍したフェリクスの少女シオンの警護のため、 統一政府軍の榛名亮准尉とラビィ准尉(※女性)が研究施設に配属されるところから、物語ははじまる。

4. 両准尉は名目上、シオンの警護のために配属。しかし、軍上層部の意図は、シオンの今後の利用と監視のために、研究施設から宇宙への護送の任にあたらせるためというもの。 両准尉の上官にして施設護衛隊長の稲葉少佐は、軍上層部の意向を快く思っておらず、シオンの境遇を不憫と思っている。

5. シオンは研究施設から出たことがない。地球脱出計画のために必要な仕事を終えたシオンが望んでいるのは、「窓の外の世界を見てみたい」ということ。 フェリクスは不老長寿だが不死ではない。シオンは自身の死期が近付きつつあることに気付いており、シオンの従者(メイド)にして姉分であるフェリクス、エリカはシオンの希望をかなえさせたいと思っている。

6. 榛名准尉が軍に入隊した理由は、「大切な人をとりもどすため」。しかし、優秀な戦績をあげ軍人として完成するころには、 大切な人が誰だったのかを忘れてしまう。そのような中、研究施設で出会ったエリカに、ふとその面影を認める。

7. エリカは榛名准尉の「大切な人」はかつて研究施設にいたフェリクス、ナツメであることを告げる。 窓の外の世界を見てみたいという希望を持っていたナツメは、研究施設から脱出し、辿りついた山間地で少年期の榛名亮に出会い、居候となった。 しかし、軍(当時の稲葉少佐!)はナツメを追跡。榛名少年の抵抗むなしく、ナツメは研究施設へ送還、間もなく死亡したという。

8. 稲葉少佐はナツメを送還せざるを得なかったことについて、悔恨の念を抱いている。

9. シオンを宇宙に護送する計画が間もなく実行されることを察知したエリカは、脱出のためのクーデターを企図。 榛名准尉は、自身の決断で、シオンの脱出に手を貸す。脱出の途中、ラビィ准尉の妨害によりエリカは負傷、死亡する。 ラビィ准尉は榛名准尉に好意を抱いていたものの、軍紀違反への対処のため、榛名准尉と決闘したが、敗北。悲痛な面持ちでその場を去る。

10. シオンと榛名准尉は、稲葉少佐の手引きにより、研究施設を脱出、少年期を過ごした山間地に逢着する。 軍からの追跡に警戒しつつも、二人だけの穏やかな生活を営み始める。

11. ある日山間地に、ジャーナリストと称する少女、真夜が訪れる。シオンに憧憬の念を抱いており、取材をさせて欲しいとのこと。 亮は軍のスパイであることを危惧したが、共同生活していくうちに嫌疑は薄れ、普通にやり取りをするようになる。 (なお、軍すら場所を特定できなかったのに真夜が特定できた理由は、ラビィ准尉からの情報によるもの。しかし、 ラビィ准尉は追うつもりはなく、逃げたければどこまでも逃げればいいと判断した。)

12. シオンは、宇宙への最終便に真夜が乗るのに合わせて、亮も宇宙に行くよう伝える。 「亮は贖罪を果たした。私はエリカの代わりが欲しかった。私はもうすぐ死ぬけれど、亮には未来がある。だから真夜と宇宙に行くの。」

13. 亮はシオンの意志を尊重し宇宙へ向かう準備を始めるが、真夜による制止を受ける。 気持を整理し、贖罪のためではなく、シオンと一緒にいるために残ることを意志し、シオンに告げる。

14. 真夜との別れの朝。不意をつき、真夜は置き土産と称して亮にキス。

15. シオンと亮だけの、あらたな関係のもとでの穏やかな日々。 眼には見えないけれど、外に出て最後の宇宙船を見送る。シオンは次第に覚醒している時間が少なくなり、体力が衰えていく。

16. 珍しくシオンの体調がよい日。外に出て湖を一望ができる丘へ。他愛のないやりとりの後、シオンの命は尽きる。 「もっと生きていたかった。もっと一緒にいたかった。」

17. 亮はシオンの墓を、過去を反芻し様々な感情を抱きながらつくる。 シオンを埋葬した後、惑星の滅亡は不可避としても、最期を見届けるものとして、しばらく生き続けることを意志する。

考察

■帰結について

終末もののストーリーでありがちな帰結として、回避できないことが露呈してエンドする、まさかの回避してエンドするというのがあるかと思います。

回避できないことが露呈してエンドするというのは、単なる悲劇なわけですが、ある種の美しさを蔵しています。 eden*の文脈に即して考えるなら、シオンと亮が一緒に佇みながら、惑星がまさに滅亡しようとしているところをむかえるといったものです。 全てが斉一的に不可抗力によって消滅するので、ストーリーとしてはそこで完結して美しい。けれども、あまり物事を考えなくても済む安直な展開とも言えます。 実は筆者、eden*のパッケージを手に取った当初、このラインで描くのかなと思っていたのですが、異なりました。予想と実際に偏差が生じて「おおー」と唸ったものです。

(※ちなみに回避するための行動がまさに回避したい事態を生じさせるというのが、ギリシャ悲劇的な悲劇のプロットの方程式です。 ソポクレスの『オイディプス王』はフロイトの解釈以降、エディプスコンプレックスの原型として参照されがちですが、本来はギリシャ悲劇の範例です。 近年の例を挙げるなら、『スターウォーズep.3』。アナキン・スカイウォーカーはパドメの死を回避するためにダース・ベーダ―になってしまうわけですが、まさにそれがパドメの死をもたらしてしまいます。 記憶に新しいところで言えば、『魔法少女まどか☆マギカ』。ほむらの行動(まどかを魔法少女にさせないためにとり続けた行動が、まさにまどかを最強の魔法少女に仕立てるための演目に他ならなかった)はギリシャ悲劇的と言い得るものでしょう。)

まさかの回避してエンドするというのは、読者救済的な喜劇なわけでして、単なる悲劇とは別の意味で予定調和しています。 eden*の文脈に即して考えるなら、なんらかの超文脈的な作用によって、シオンが実は死なずに済んだとか、惑星は実は終焉に向かわずに済んだとかして、 シオンと亮の穏やかな日々が永続してハッピィエンド、やったね☆みたいな展開です。 読者救済という予定調和のため、ストーリーの内在的な文脈を超越した文脈を肝心要のところで混入させるのは、すさまじ(興ざめ)と言わざるを得ないというのが、筆者の率直な感想です。 美少女ゲームにはありがちな展開(角砂糖の「世界の真ん中」的なゲームで、「おにいちゃん♪」などと呼ばれるシナリオ等)なので、 美少女ゲームの文學性の向上のためには、こういったシナリオの低減が必要だと思われます。

さて、eden*の帰結(「内容」パラグラフ16, 17)は、このような単なる悲劇や読者救済的な喜劇とは異なったものとなっています。 惑星の終焉よりも先にシオンの生の終焉に臨むことになった亮は、シオンの死とともに自刃を向け、ストーリーの幕引きを図るわけではありません。 また、生き続けるからといって、今後シオンが復活するわけでもありません。さらに、惑星の滅亡は不可避であるにしても、亮はそれに抗うわけでもなく、滅亡する惑星から脱出する気もありません。 (蛇足すると、惑星の終焉とともに、死後の世界でシオンと邂逅する等といった、ありがちな余分な脚色もありません。)

何というか、極めて自然体なのです。外面的な状況は救いようがないものであるにもかかわらず、そこには深い救済がある。 教条的な生命讃歌(生きていることは大切!)を謳歌しているわけではないけれど、否、それであるが故に生に対する深い肯定がある。

これはある種のケアの思想であり、宗教的な帰結なのだと思います。 そして、筆者はこの観点から、我々の実生活へまなざしを向けることに意味があると思っています。(詳しくは、「所感 生の維持・増進という力学と生の終焉に寄り添うという倫理」へ)

■展開について

シオンと亮の関係の進展の見せ方が構築的で、制作陣がそのことに自覚的であることは特筆に値します。

亮が研究施設からシオンを連れ出す決断をするのは、明らかにナツメと過去の自分に対する贖罪の念が動因です。 かつて力なく守ることができなかったナツメと同じ望みをもった少女を、今度こそ守らなければならないというのが亮の願望であり、 潜在的には、亮はナツメとの関係をシオンとともにやり直そうとしています。 (かつて少年期を過ごした山間地にシオンとともに逢着することは、この文脈から解すると、妙微かにして味わい深い。) (「内容」パラグラフ5,6,7,9,10)。

ありきたりの美少女ゲームであれば、この時点で二人は結ばれ大団円、よかったね☆としそうなものですが、eden*はスパイシーというか老獪というか、終わりません。 シオンと亮の二人だけの世界に、真夜という異分子が添加されます。 (ある目的や用途のために意図的(intentional)に添加されるという意味では、まさに彼女の存在は添加物(additive))。

それまでの、軍組織という規律管理社会における、やや血腥(なまぐさ)い状況を描いた緊迫したテキストとの対比もあるので、 穏やかな山間部における、ややラブコメディ感漂う情況を描いた少々中だるみしたテキストが布置されているような感が否めないものの、 真夜の存在は、シオンと亮の関係が進展するために、論理的に不可欠です。

スパイの嫌疑が薄れるうちに、亮は真夜と普通に話をするようになります。また、真夜は人物として、亮に好感を抱いています。 シオンはその光景を見て、ちくりと、ある感情を抱いているはずなのですが、おそらく限りなく合理的に正しい、理知的な対応をとります。

それが、「亮は贖罪を果たした。私はエリカの代わりが欲しかった。私はもうすぐ死ぬけれど、亮には未来がある。だから真夜と宇宙に行くの。」 という旨の告解です。 (「内容」パラグラフ12)

亮とシオンの関係は、一方は贖罪の対象、他方は代替の対象という、ねじれのベクトルを有したものから始まります。 これらを二人だけの世界という平面に置くと、交わっているように見えるだけなのです。この事実に、テクスト内で言及するとは、なんと内省的なことかと筆者は驚嘆したものです。

真夜がいたからこそ、亮とシオンの関係は主に贖罪-代替の関係であることへの気付きになり、 また真夜がいたからこそ、亮とシオンの関係は単に贖罪-代替の関係だけではないことへの気付きにもなります。 かくして、真夜を触媒に、亮とシオンの関係は恋人の関係に、ようやく遷移します。(「内容」パラグラフ13)

真夜は去り際、亮の不意をつき、「置き土産」と称してキスをします。 シオンの「恋人」としての嫉妬の火種を付けて去っていくわけでして、eden*の演目上の自分の役割を、自覚的にこなして去っていきます。(まさに加工助剤(添加物の一種)。) (「内容」パラグラフ14)

このように、描き方が構築的であり、制作陣の作品に対する内省の痕、実証的な態度が垣間見え、作品に理知的な格調を漂わせるに至っています。

所感

■生の維持・増進という力学と生の終焉に寄り添うという倫理

筆者は職業柄、人(というより人口 population)の生命や健康を第一義的な配慮の対象として、 これらの維持、増進を図るという社会の仕組み(ミシェル・フーコー的にいえば「生権力」)の一端を担ったり、 衰退甚だしい我が国の地方創生にかかる取組の一端に関与したりする機会があります。 しかし、人にしても共同体にしても、いずれは終焉を迎えることは不可避という、冷徹な事実があるのですよね。

なので、どこかでちらりと思っているのです。何のためにこのようなことをやっているのだろうと。

人はいずれ死する身であるにも関わらず、寿命と健康寿命の延伸を社会の取組として企図することは、どのような目的をもったものなのだろう。 人口減は不可避のトレンドであり、地方自治体の幾許かは機能維持もままならず合理的再編成の名のもと消滅するのは避けられないにしても、 地方創生の社会的取組は、何を目的にどこまで行ったらよいものなのだろう。

筆者はこれら問い(生の維持・増進にかかる問い)に対して、自信をもって答えることができる積極的な内容を有していません。

eden*は「終焉に望んでどのような態度をとるのか」という思考実験を示しており、 そこで開陳されていることが、これらの問いに対する答えの補助線のひとつとなるかもしれません。

そこで開陳されていることは、「抗うわけでもなく、脱出するわけでもなく、いずれ訪れる終焉に寄り添って生きる。」ということです。 これは、生の維持・増進にかかる問いとは独立に、重要な仕事があるのではないかということを示しています。

これは、寿命を延伸する、共同体を維持するなどの目的に対する直接的な答えにはなっていませんが、 これらの目的に対しては哲学的な深みを求めず、むしろ政治的、社会的な力学の圏域で検討し設定するべき課題として割り切る、という態度で臨むことが選択肢としてあり得ることを開示しています。 いずれにしても、終焉に寄り添って生きるというケアが、教条的な生命讃歌による生の肯定とは異なる形で、生を肯定する為に不可欠なのだと思います。

つまり、倫理的な問題圏に布置するのは、終焉に寄り添って生きるというケアのあり方なのであって、 生の維持・増進にかかる問いの目的については、倫理的な問題圏から技術的な問題圏に落とし込んで思考するという方向性があり得るのではないかと思う次第です。

■その他

これだけ書いたから書いてもよいでしょう。

シオンがかわいいのは明晰にして判明です!

Q.E.D.(主体的真理を遂行的に証了)


■オマケ(2015/10/22追記)

「eden*」の作中曲「Sion」(作曲者様:天門)を編曲しました。「Sion」は同作品中のメインヒロイン、シオンの主題曲です。

編曲方針は「自分でも演奏できそうなものにする」です。 実際、作成の際は、自分でピアノを使って音探しをしました。ただ、腕が三本無いと一人では演奏できません。 (誰かにヴァイオリンの主旋律を弾いてもらって、私がピアノで伴奏するとちょうどよい感じ。)

なお、原曲の方が、音源の数が多く、優美な雰囲気があるのは言うまでもありません。 原曲が気になる方は、ちょっと(相当?)極彩色なCDショップ(よーし、らしんばんまわすよー!など)を漁ると、堀出しもの的に見つかるかもしれません。

なお、原曲の方が、音源の数が多く、優美な雰囲気があるのは言うまでもありません。 原曲が気になる方は、ちょっと(相当?)極彩色なCDショップ(よーし、らしんばんまわすよー!など)を漁ると、堀出しもの的に見つかるかもしれません。


Sion (arranged by Tyu-gen)



minoriご担当者様へ

著作権法(以下「法」という。)第二十条(同一性保持権)、第二十七条(翻訳権、翻案権等)及び法第二十八条(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)を考慮し、 先般(平成27年2月)、貴社ウェブサイト総合インフォメーション宛てに、当該楽曲の編曲の可否に関して問い合わせをしました。 その後、貴社から本件に係る回答はありませんでした。

そこで、以下に掲げる1~3を総合的に勘案し、今般、編曲を当ウェブサイト上で公開することにしました。

1 法十八条(公表権)は、「著作者は、その著作物でまだ公表されていないものを公衆に提供し、又は提示する権利を有する。」と規定しており、 同条は、原著作物に限らず二次的著作物についても、同様の公表権があるとしています。 それゆえ、編曲者である当方は、法十八条の規定に基づき、原著作物である「Sion」の二次的著作物である「Sion (arranged by Tyu-gen)」の公表権を有します。

2 本編曲は、商業利用を目的としたものではありません。それゆえ、本編曲を通して、当方が受け取る利益はありません。

3 当方の運営するウェブサイトには、アフィリエイト等の商業広告はありません。それゆえ、本編曲をウェブサイトで公開することによって、当方が受け取る利益はありません。

なお、法第十一条(二次的著作物) 及び法第百十二条(差止請求権)の規定から、原著作者は、二次的著作物に対する差止請求権を有すると解されます。 もし、当方が「Sion」の編曲を当ウェブサイトで公開することは、原著作者様の著作者人格権又は著作権の侵害に相当するとの認識がございましたら、ご連絡ください。

連絡先(表記中の「☆」を半角の「@」に置き換えて、ご使用ください。)


(参考)著作権法(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)(抄)

(定義)
第二条 十一 二次的著作物 著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物をいう。

(二次的著作物)
第十一条 二次的著作物に対するこの法律による保護は、その原著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない。

(公表権)
第十八条 著作者は、その著作物でまだ公表されていないもの(その同意を得ないで公表された著作物を含む。以下この条において同じ。)を公衆に提供し、又は提示する権利を有する。当該著作物を原著作物とする二次的著作物についても、同様とする。

(同一性保持権)
第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

(翻訳権、翻案権等)
第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
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(差止請求権)
第百十二条 著作者、著作権者、出版権者、実演家又は著作隣接権者は、その著作者人格権、著作権、出版権、実演家人格権又は著作隣接権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。

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