標記について、とある経緯から、まず英文で著述をするという謎業を行いました。 その後、やや、簡潔に過ぎる部分があるにしても、パソコン内で塩漬するのも忍びなく思われたので、日本語訳(註解溶込)をつけて公開することにいたしました。 ブレインストーミングレベルの著述ですが、ハイデガーの『技術への問い』から『魔法少女まどか☆マギカ』を解釈し、 『魔法少女まどか☆マギカ』の方が、ハイデガーの『技術への問い』より、哲学的には思索が進んでいることを提示したいと思います。
I read the book entitled ‘Die Frage nach der Technik’ namely ‘Question into technology’ written by Martin Heidegger. As reading it, I came to notice that the story of ‘Puella Magi Madoka Magica’ can be interpreted from the modern technological point, and the philosophical step of ‘Puella Magi Madoka Magica’ is more advanced than that of ‘Die Frage nach der Technik’.
(私は、ドイツの哲学者であるM.ハイデガーの『技術への問い』という著作を読みました。 読むにしたがって、私は次のことに気が付きました。すなわち、現代技術論的な観点から、『魔法少女まどか☆マギカ』のストーリーは解釈することができることと、 『魔法少女まどか☆マギカ』の方が、ハイデガーの『技術への問い』よりも哲学的な段階が進んでいるということです。)
Heidegger pointed on the modern technological situation as following: The modern technology is highly organized and integrated; this technological system encloses the humans and it treat them like tools or resources.
(ハイデガーは現代技術の状況について次のように指摘しました。 現代技術は高度に組織化、統合化されている。この技術体系は人間を囲い込み、人間を道具や資源のように扱っている。)
Heidegger defined this technological situation as his technical term ‘Ge-stell’. Then, Heidegger pointed that Ge-stell will bring humans into the crisis of their dignity; however, referring to famous poet Hölderlin, a salvation must be raised in the crisis and consequently Ge-stell. After all, Heidegger did not refer concretely what is the salvation. But he subtly suggested that the salvation might be Art. (Herein, we should consider that he loved poem, especially Hölderlin’s poem.)
(ハイデガーは、この技術状況を、彼の術語で「ゲシュテル('Ge-stell'。こなれていないと思われるが日本語訳は「集-立」)」と定義しました。 そしてハイデガーは、ゲシュテルは人間を、その尊厳の危機へと連れ込んでしまうだろうと指摘しました。 しかし、有名な詩人であるヘルダーリンを参照しながら、危機、然るにゲシュテルの中において、救済は育まれるに違いないとも指摘しました。 結局のところ、ハイデガーは何が救済なのかについては具体的に言及しませんでしたが、 彼は救済はひょっとしたら諸芸術であるかもしれないという示唆を微かにしました。(ここにおいて、我々はハイデガーが詩、特にヘルダーリンの詩を愛したことを考慮するべきです。) )
By the way, as Kyubey suggesting in the storyline of ‘Puella Magi Madoka Magica’, the system for reducing the entropy of universe exploits girl’s emotional energy in the name of contract, and practically uses their labor force to maintain its ecosystems. So we can easily find out that this system is Heidegger’s Ge-stell. Well, what is the salvation in the context of ‘Puella Magi Madoka Magica’?
(ところで、「魔法少女まどか☆マギカ」の作中でキュゥべぇが示唆しているように、 宇宙のエントロピーを減少させるためのシステムは、契約の名の下に少女の感情エネルギーを収奪し、 そのシステムの生態系を維持するために、彼女達の労働力を運用しています。 しかるに、我々は、このシステムがハイデガーのゲシュテルであることを、容易に見て取ることができます。 それでは、「魔法少女まどか☆マギカ」の文脈における救済とは、いかなるものでしょうか。 )
The answer is ultimate Madoka of transcendent existence. Although she emerged in the very Ge-stell, she re-defined, re-constructed and changed the form of the Ge-stell to genuinely realize puella’s wishes. In other words, Ge-stell is no longer the system of exploiting puella's wishes, but becomes the system of fulfilling puella's wishes. Though Ge-stell is remained, the dignity of puella is continuously maintained and exhibited in this rebuild universe.
(この問いに対する答えは、超越的存在であるアルティメットまどかです。 彼女は、まさにそのゲシュテルから生まれたものではありますが、 彼女は、魔法少女の希望が純粋に叶えられるよう、ゲシュテルのあり方を再定義、再構築し、変化させました。 言い換えると、ゲシュテルはもはや魔法少女の希望を搾取するシステムではなく、魔法少女の希望を叶えるシステムになったのです。 ゲシュテルは存立し続けていますが、この再構成された宇宙では、魔法少女の尊厳は維持、発揮され続けています。)
In this respect, I want to point out that the philosophical step of ‘Puella Magi Madoka Magica’ is more advanced than that of ‘Die Frage nach der Technik’.
(この点において、私は、『魔法少女まどか☆マギカ』の方が、ハイデガーの『技術への問い』よりも哲学的な段階が進んでいると指摘したいです。)