Review(本文)


2016/11/05
映画「君の名は。」 に関するとりとめもない感想

まず、レビューと言うには若干散文過ぎることを、お許し願いたい。

本作を映画館で観賞し終えた時、どう思考の沈黙を破ろうか、しばし深沈した。 劇場を後にしつつある時、周囲から「息をのんだ」、「泣いた」、「すごくよかった」など、感想と言うより感慨や感嘆と言う方が適切と思われる声を聞いた。

現代的な感覚からすると、これらの感慨や感嘆は、作品に向けられる賛辞としては最高のものだと考える。 現代人は、情動的で直接的な表現(例えば「いいね!」)で、何か(誰か)を承認し、何か(誰か)から承認されることを、希求する。 情動的で直接的な表現は、容易に人口に膾炙する。そして、広がる承認の紐帯の輪の中に、作品、自分、他者が包摂されることで、自他の無差別一体の感覚に愉悦を覚え、快癒に浸る。

現代社会は多元社会と言われる。価値基準、思考様式は人それぞれだ。 そして、他者の価値基準、思考様式に無暗に立ち入らないことが、ある種の美徳として機能する。 それは、現代社会では、象徴の水準での普遍が成立しにくいことを意味している。そのかわり、普遍が成立するのは情動の水準に移行したと見える。 象徴の水準での相互無関心は個々人に孤独と不安を喚起するが、情動の水準での相互承認は個々人に紐帯と安心をもたらす。 文章で思考を開陳するより、写真で情況を報告するのに勤しむ現代人を眺めれば、きっと思い当たるところがあるだろう。 近代は理性が普遍への回路になる時代だったが、現代は情動こそが普遍への回路になる時代だ。

新海誠監督は報道番組のインタビューで、映画「君の名は。」の製作意図として、「東日本大震災を経た現代日本で、今の時代の人が何となく感じている空気感に応えられるものをつくりたい」旨を、語っていた。 私の理解では、「東日本大震災を経た現代日本で、」の口上は、聴衆向けのリップサービスだ。重要なのは、「今の時代の人が何となく感じている空気感」の下りだと考える。

「今の時代の人が何となく感じている空気感」とは何か。その報道番組のインタビューでは、新海誠監督から特に説明はなかった。だから、想像するしかない。 そこで、先の現代社会に関する分析から、「象徴の水準での相互無関心、情動の水準での相互承認」を補助線に引いて、その空気感を把捉してみよう。 すると、そこには「承認不安に脅かされながらも、情動を媒介にして、承認の紐帯の輪の中に入りたい。」という心理的傾向を有する現代人の姿が、浮かび上がってこよう。

私の理解によると、本作が社会現象と言われるほど流行したのは、「承認不安に脅かされながらも、情動を媒介にして、承認の紐帯の輪の中に入りたい。」という心理的傾向を有する現代人に、 承認の紐帯の輪を形成するにあたって、程よい情動の素材を提供したからだ。 若い世代の人々には、「わたしもこんな生活をしてる。」や「瀧君や三葉ちゃんのように、わたしも運命の人に巡りあいたいな。」といった、メタレベルで共感可能な素材を提供したと考える。 また、年配の世代の人々には、「光の表現が美しい。」や「素晴らしい演出だ。」といった、メタレベルで共感可能な素材を提供したと考える。

それでは、本作のストーリーはどうだったか。おそらく、「若干奇をてらった設定ではあるが、概ね王道の恋愛ストーリー」と表現しても、大きな異論はないだろう。 だから、「今の時代の人が何となく感じている空気感」が作品の中に反映されているようには思えない。粗いまとめ方をすると、次のようなストーリーだ(ネタバレ注意)。

1. 男子と女子が、精神の入れ替わりを通じて互いの事を知り、次第に恋慕の情を抱くようになる。
2. しかし、女子が住んでいた集落に彗星が落ち、男子は、女子が既に命を落としていたことを知る。
3. 男子は、あの手この手で、彗星落下時に遡行して、女子を含む集落の人々の命を救おうと試みる。
4. 悶着ありながらも、最終的には、女子を含む集落の人々の命は助かる。
5. 数年後、男子と女子は、運命的なものを感じながら邂逅し、「君の名は?」と尋ねて、エンドロール。

おそらく、「今の時代の人が何となく感じている空気感」が作品の中に反映されているから、人々が共感を覚えたのではない。 むしろ、作品の外で承認の紐帯の輪が広がっていること自体に人々は共感を覚え、そして、自らもその輪の中に包摂されることを欲しているのではないだろうか。 その意味で、本作の製作意図(今の時代の人が何となく感じている空気感に応えられるものをつくりたい)は、作品の中で具現しているのではなく、作品の外でこそ具現している。

それゆえ、「君の名は。」は、映像作品だけではなく、その社会現象を含んで一つの作品だと評せられよう。


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